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2008年03月05日

PDF:商用ソフト、フリーソフト、オープンソース

「日経PC21」といえば、市販の雑誌の中でも、現在、PDF関係の記事が充実しています。

で、「日経PC21」の記事では、PDFのフリーソフトが沢山掲載されているようです。そんなことで、編集の人たちと話していて、フリーソフトと商業ソフトの話になったので、ちょっと意見を述べます。

意見を述べる前に、一応、言葉の定義をしておきます。関連する言葉を上げてみましょう。
(1)フリーソフト
(2)無償ソフト
(3)コマーシャルソフト(商用ソフト)
(4)プロプライエタリ・ソフト(占有ソフト)
(5)オープンソース

フリーソフトについては、GNUは、次の定義をしています。

フリーソフトウェアの定義
「フリーソフトウェア」で問題とするのはいわゆる「自由」であり、価格ではありません。この考え方を理解するためには、「ビール・ご自由にお飲みください」の自由ではなく「言論の自由」の自由を思い浮かべてください。「フリーソフトウェア」のフリーは、ユーザがソフトウェアを実行、複製、頒布、研究、変更、そして改良する自由のことを指しています。

GNUの定義だと、商用ソフトとフリーソフトは、対比されるものではなく、GNU的にはフリーソフトの反対語は、プロプライエタリ(占有)ソフトです。

日本では昔から、無償ソフトのことをフリーソフトと呼んでいたようです。特に、シェアウエアや無償ソフトを沢山あつめた日本で一番大きいダウンロードサイトである、Vectorでは、次のように定義しています。

http://www.vector.co.jp/for_users/study/soft_type.html

使用に制限はありません。しかし、著作権はあくまでも作者に帰属します。作者から許可を得ていなければ、改変したり販売したりすることはできません。

つまり、GNUの定義とVectorの定義は、同じフリーソフトという言葉を、まったく正反対に定義しています。Vectorの言葉のフリーソフトはGNU的にはプロプライエタリになります。

これを理解して言葉を定義してから話をしないと、同じ言葉で別のことを意味してしまい、議論がかみ合わなくなります。

私としては、GNUの定義は論理的に自己矛盾を起こしているので認められません。GNUの一番の論理矛盾は、『「言論の自由」の自由を思い浮かべてください。』と言いながら、GNU のGPLは、プロプライエタリ・ソフト(占有ソフト)の存在を否定している点です。つまり、GNUは、自分の主張だけの世界で自由と言っていて、異なる世界を認めていない、まさしく、現在のアメリカと同じじゃないか、ということ。そういう自由は自由じゃないと思うのですがね。

そんなわけで、私は、ベクターの「フリーソフト」の定義を採用します。ベクターの定義は論理的にはかなりいい加減ですが。フリーソフトの定義って、いい加減なところが却ってフリーソフトらしくて良いのではないでしょうか。

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投稿者 koba : 08:00 | コメント (0) | トラックバック