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2008年02月13日

Page2008 トークショウ「コンピュータ組版の軌跡2」(4)

さて、トークショウの続きで、組版システムの話をもう少し。

小野沢さんのお話では、1970年代から1980年代の写研の組版システムの話がいろいろ出てきましたが、正直言って機械の名称を聞いても違いが理解できませんでした。大体理解できましたのは、1970年代から1980年代には写研もかなり挑戦的・アグレッシブに、組版システムの開発を行っていたということです。1970年代後半から1980年代には、東南アジアを中心にシステムの輸出も行ったとのこと。

しかし、なぜ、写研が、QuarkXPressなどのDTPシステムに取って代わられてしまったのでしょうか?やはり、コストが高かったということなのでしょうか?

しかし、機械のコストだけの問題であれば、ハードウェアをパソコンに乗り換えて安くするとか、コストダウンするという対策は、いろいろありそうに思います。コストが高かったというのは、極論すればコストを下げようと努力しなかった結果に過ぎないともいえます。

また、コストだけが全てであるとすると、例えば、XSL Formatterは、オープン・ソースの無償ソフトであるFOPには絶対に勝てないことになります。しかし、現実には、無償のソフトがあったとしても、有償ソフトで商売できるのです。こういう例を見ましても、単にコストが高いというだけで、物事が決定してしまうということはないはずなので、本当は他に理由があるのかもしれません。

さて、日本製の組版ソフトといえば、ジャストシステムの「大地」の話も出ましたが、もはや「大地」を知っている人は少ないでしょう。

凸版印刷も1980年代には、研究所で組版システム製品を開発して販売していたそうです。やはり、1980年代の終わりには、DTPの波が押し寄せて、日本でも日本製DTPを作ろうという小さな波があったということ?

CTSにせよ、写研の組版システム、凸版の組版システム、大地など、日本のコンピュータ組版が華々しい脚光を浴びたのは1970年~2000年のわずか30年程度。2000年頃までには、欧米製パソコン上のDTPソフトに、その主役の座を譲ってしまいました。

私は、印刷業界にはあまり詳しくないのですが、このあたりの歴史のうつろいには感慨を覚えますし、業界の盛衰記としてまとめられると興味深いように思います。

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投稿者 koba : 08:00 | コメント (0) | トラックバック